2020年4月27日月曜日

Metaphor 2

「料理におけるメタファーと詩学」(2)

料理を想像させるためのツールとして一般的なメディアはメニューだ。
まだまだ蝋細工だって見かける。
そういえばかつてお節料理の蝋細工のサンプルを作ったことがある。
百貨店に依頼されてデパートに並べるためだ。
蝋細工があるのとないのとでは売り上げが違うそうだ。

メニューの場合、ファミリー・レストランなど業態によっては写真入りで料理やコースの内容を表示しヴィジュアル化している。
情報をより正確に速く伝えるためにはとても良いのだろう。
しかし僕たちはそもそも正確に情報を伝えることをメニューを書く目的としていないのだ。

「今朝の魚河岸から 瀬戸内海で一本釣りした天然鮮魚のお料理」

とテキストで伝えて、後はサーヴィス・スタッフが言葉で補完する方法だ。

これでお客様は出てくる料理の形まではとらえられないので実際に眼の前に料理がおかれた時には「美味しそーだな」と思われるような意外性があるとよいと思う。

それは食べ手の経験値にないプレゼンテーションをするしかない。
それが予測できないヴィジュアルだ。

逆にあってはならないのは、ビストロの業態で「ラタトゥイユ」と書いたら絶対にラタトゥイユの想像範囲を超えた料理を出してはならないということだ。