「目板カレイ」がやってきた。小ぶりサイズ。市場では箱の中でバタバタと跳ねている。この手の小物の鮮度は本当に抜群の高松中央卸売市場。
漁船横付けだしね。
2012年4月30日月曜日
2012年4月28日土曜日
Regionally produced and consumed
地方のレストランで料理を作る難しさについていつも考えている。
東京にいた時は世界中、日本中から良いと思った素材を選んでいた。上質な素材の持ち味を存分に引き出し、その上で個性的な料理を作りたいと考えていた。
香川県のような瀬戸内海の真っただ中、地域の農産物もあるような場所では遠くの地域の食材が使いにくい。東京で北海道の海産物を使ってもそれは普通のことだった。でも高松ではピンとこない。目の前が海だからだ。遠方からお越しくださるお客様ならなおのことだ。オマールやソーモン、サン・ジャックを使っても、「これならどこでも食べることができる、地の物が食べたい」と言われてしまう。当然だけれど。
しかし、ただ地元の素材、と言うだけでは駄目なのだ。納得できる素材でなければ。四国産なら何でも良いわけではない。魚介類はなんとかなるとしても、肉類が難しいなー。豊富な種類から選べるわけでもなく、更に納得できる物となると。だってそれはバスクの豚とかイベリコ豚より良い品質なのかどうかいつも考えなければならない。そして、もしそれらより劣る素材でも地元の物を優先させるのか、という大きな壁。肉に限らずいつもそんな事との戦いだ。
兎に角、国産で質の良い物が手に入るならなるべくそちらを使うように心がけてはいる。でもなかなかフォア・グラを使うのをやめられない。それは料理人としてフォア・グラが巧みに扱える、というテクニックを向上させたり維持したい、という欲望にかられてしまうからだ。オマールやトリュフ、色々なシャンピニョン、フランス料理を象徴するような素材は全部だ。
モリーユがあると聞いたらもういてもたってもいられなくなってしまう。困ったもんだな。僕はフランス料理に憧れて、当時日本にまだない素材に憧れて料理人になり、そしてフランスへ渡ったから。
香川県にいても上手く世界、そして日本中の食材と付き合い、それでいて瀬戸内のテロワール溢れる豊かな料理が作れるようになりたい。欲張りかも知れないけれど・・・。
流通革命がおこり、世界や日本中の素材に恵まれた上でのとても贅沢な悩みだな。そんなわけでモリーユは香川県産の極太アスペルジュ・ブランシュと。
東京にいた時は世界中、日本中から良いと思った素材を選んでいた。上質な素材の持ち味を存分に引き出し、その上で個性的な料理を作りたいと考えていた。
香川県のような瀬戸内海の真っただ中、地域の農産物もあるような場所では遠くの地域の食材が使いにくい。東京で北海道の海産物を使ってもそれは普通のことだった。でも高松ではピンとこない。目の前が海だからだ。遠方からお越しくださるお客様ならなおのことだ。オマールやソーモン、サン・ジャックを使っても、「これならどこでも食べることができる、地の物が食べたい」と言われてしまう。当然だけれど。
しかし、ただ地元の素材、と言うだけでは駄目なのだ。納得できる素材でなければ。四国産なら何でも良いわけではない。魚介類はなんとかなるとしても、肉類が難しいなー。豊富な種類から選べるわけでもなく、更に納得できる物となると。だってそれはバスクの豚とかイベリコ豚より良い品質なのかどうかいつも考えなければならない。そして、もしそれらより劣る素材でも地元の物を優先させるのか、という大きな壁。肉に限らずいつもそんな事との戦いだ。
兎に角、国産で質の良い物が手に入るならなるべくそちらを使うように心がけてはいる。でもなかなかフォア・グラを使うのをやめられない。それは料理人としてフォア・グラが巧みに扱える、というテクニックを向上させたり維持したい、という欲望にかられてしまうからだ。オマールやトリュフ、色々なシャンピニョン、フランス料理を象徴するような素材は全部だ。
モリーユがあると聞いたらもういてもたってもいられなくなってしまう。困ったもんだな。僕はフランス料理に憧れて、当時日本にまだない素材に憧れて料理人になり、そしてフランスへ渡ったから。
香川県にいても上手く世界、そして日本中の食材と付き合い、それでいて瀬戸内のテロワール溢れる豊かな料理が作れるようになりたい。欲張りかも知れないけれど・・・。
流通革命がおこり、世界や日本中の素材に恵まれた上でのとても贅沢な悩みだな。そんなわけでモリーユは香川県産の極太アスペルジュ・ブランシュと。
2012年4月27日金曜日
2012年4月26日木曜日
Distant view
ファサードのロゴ・マークの隙間から見えるのは瀬戸内海の遠景だ。夜の夜景も良いけれど、やはり日中の見晴らしはとてもお勧めです。眼下が河川で遮るものがない「抜け感」がとても開放的。本当に気持ちの良い季節。
裏方では草むしりがめっちゃ大変だけれど・・・。でも、わざわざお越しくださるお客様のために頑張りますよ。
裏方では草むしりがめっちゃ大変だけれど・・・。でも、わざわざお越しくださるお客様のために頑張りますよ。
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jour
2012年4月25日水曜日
2012年4月24日火曜日
Color
今年に入ってようやくfacebookのアカウントを作った。僕は人づき合いが苦手でお祭り騒ぎも嫌いで本当に1人でも生きていけそうだな、なんて思っていたからいざ「友達」を探そうと思っても学生時代の友人とか、かつての同僚とか、探そうにも誰もいない事に気がついた。それにまだfacebookというものも良く理解もできていない。用語も解らない。
で、かつて仕事でお世話になった方とかにおこがましくも「リクエスト」を送信してボチボチと「友達」を増やそうとしている。そもそもコンピューターの前に座る時間も無いのだが。それにお世話になった方々は友達ではないぞ、大先輩だ。だから余計に気おくれしいて「逆facebook」効果状態に陥りつつある。憂鬱になってどうする俺、みたいな。
そんな中、擬人化が好きな僕は「やっぱ植物でしょ!」的方向性で花に走ることにした。結局、人付き合いが不器用で花に語りかけるのだった。
まっ、いいか。
それに牡丹には様々な色があって楽しい。今ならこんな牡丹をお見せできます。どうぞご予約ください。
で、かつて仕事でお世話になった方とかにおこがましくも「リクエスト」を送信してボチボチと「友達」を増やそうとしている。そもそもコンピューターの前に座る時間も無いのだが。それにお世話になった方々は友達ではないぞ、大先輩だ。だから余計に気おくれしいて「逆facebook」効果状態に陥りつつある。憂鬱になってどうする俺、みたいな。
そんな中、擬人化が好きな僕は「やっぱ植物でしょ!」的方向性で花に走ることにした。結局、人付き合いが不器用で花に語りかけるのだった。
まっ、いいか。
それに牡丹には様々な色があって楽しい。今ならこんな牡丹をお見せできます。どうぞご予約ください。
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2012年4月21日土曜日
2012年4月19日木曜日
2012年4月18日水曜日
2012年4月16日月曜日
Fallen Blossoms
いつ咲くか、いつ咲くか、と楽しみにして、咲きはじめたらうきうきとした気分になって、大勢の人が満開の桜を愛で、川沿いの桜の木の下では楽しそうな宴の声が遠くで聞こえていた数日。今はもう誰もいない。
今日はとても静かに風の音が聞こえる。1つの花を作っていた花弁は一枚一枚別々に散る。もう二度と出会うことはないだろう。
今日はとても静かに風の音が聞こえる。1つの花を作っていた花弁は一枚一枚別々に散る。もう二度と出会うことはないだろう。
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2012年4月14日土曜日
2012年4月13日金曜日
Le Marche 2012.4.13
今が旬の「さより」がやってきた。東京の築地市場でも「香川県漁連」と書かれた箱に「さより」が入っているのをよく見かけたから、瀬戸内海での「さより」の漁獲はある程度あるのだろう。質も良い。
お刺身で食べるは勿論のこ色々な調理方法に適応する。魚体が小さく身が細いので「形」を作り安い。そういう方向性の加工意欲も掻き立てる素材だ。
今日は「たて塩」にくぐらせたあと、ヴィネグレットとキャビアでカルパッチョのようなシンプルな仕立てにした。
お刺身で食べるは勿論のこ色々な調理方法に適応する。魚体が小さく身が細いので「形」を作り安い。そういう方向性の加工意欲も掻き立てる素材だ。
今日は「たて塩」にくぐらせたあと、ヴィネグレットとキャビアでカルパッチョのようなシンプルな仕立てにした。
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marche
2012年4月12日木曜日
2012年4月10日火曜日
Assiette
昨日は幼稚園の始業式だった。長女は年中になった。子供の成長は速いものだな。
毎朝、長女を幼稚園に送ってゆく。次女はそのままレストランへ連れてゆく。午後再び幼稚園へ長女を迎えゆく。夏休みも冬休みも預かり保育をお願いするので一年のうちの大部分をこのスケジュールで通す。仕込みを中断して幼稚園へ出かけてゆくのは結構大変だ。
子供を迎えにいったらレストランへ連れてくる。そこで次女と長女が再び一緒になる。ここからも大変だ。うちのかみさんが食事を作る。食べ終えると子供たちの食器が洗い場へ戻ってくる。それは僕が洗う。
子供たちの食器を洗うのは楽しい。「今日は全部食べたな」とか、「野菜を残したな」とか、いろんな想像をしながら片づける。健康のバロメーターみたいなもの。
最初は少しだった子供用の食器が大部増えた。そもそも子供が増えたし、成長に伴い使う食器も変わる。
もっともっと増えるといいなー。
毎朝、長女を幼稚園に送ってゆく。次女はそのままレストランへ連れてゆく。午後再び幼稚園へ長女を迎えゆく。夏休みも冬休みも預かり保育をお願いするので一年のうちの大部分をこのスケジュールで通す。仕込みを中断して幼稚園へ出かけてゆくのは結構大変だ。
子供を迎えにいったらレストランへ連れてくる。そこで次女と長女が再び一緒になる。ここからも大変だ。うちのかみさんが食事を作る。食べ終えると子供たちの食器が洗い場へ戻ってくる。それは僕が洗う。
子供たちの食器を洗うのは楽しい。「今日は全部食べたな」とか、「野菜を残したな」とか、いろんな想像をしながら片づける。健康のバロメーターみたいなもの。
最初は少しだった子供用の食器が大部増えた。そもそも子供が増えたし、成長に伴い使う食器も変わる。
もっともっと増えるといいなー。
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2012年4月9日月曜日
2012年4月7日土曜日
Leucojum aestivum
レストランの庭には実に沢山の種類の草花がある。春になると順次開花したり葉をつけたりしてお客様を迎えてくれる最強のキャストとなる。
昨年の春もBlogでの話題はしばらくの間、花だった。この後まだまだ紫欄や牡丹、芍薬、小手毬などとても楽しみだ。今は勿論、桜が9割開花して最高潮だが水仙も愛らしく綺麗だ。
この鈴蘭水仙もとても可愛い。「スノーフレーク」と呼ばれるらしいが日本人の情緒と欧米のそれとはだいぶ違うな。それが言語、歴史、文化の違いなのだろう。
昨年の春もBlogでの話題はしばらくの間、花だった。この後まだまだ紫欄や牡丹、芍薬、小手毬などとても楽しみだ。今は勿論、桜が9割開花して最高潮だが水仙も愛らしく綺麗だ。
この鈴蘭水仙もとても可愛い。「スノーフレーク」と呼ばれるらしいが日本人の情緒と欧米のそれとはだいぶ違うな。それが言語、歴史、文化の違いなのだろう。
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2012年4月6日金曜日
2012年4月5日木曜日
Identity
ある種のレストランから料理の国籍が消滅している。我々のレストランも看板や印刷物にフランス料理という言葉を使わないでいる。ウェブ・サイトにはフランス料理という言葉を残しているがそれは我々のレストランの利用方法の方向性を分かりやすく示すために使っているにすぎない。ネットで何かを調べようとしている人への配慮と検索性の向上だが近い将来全て消滅すると思う。
東京にいた時はフランス料理を作ろうとしていた。店名もフランス語だった。
僕は料理の技術をフランスで学んで学習の参考にしたテキストはほとんどフランス語だったのでその技法の根底は今でもフランスにあると思っている。それに自分を育んでくれたフランス料理が好きで愛している。
レストランは何かのコンセプトを持っていて、そのコンセプトをメッセージにして伝える。そしてコミュニケーションの手段として料理やサービスがある。コンセプトはそのレストランで働く人々の思想や生き方といったものを反映したものでそれは環境や境遇、情報に誘発されたものだ。
そもそも料理とは生命の所作だ。他者の命を奪い自らの生命を存続させようとしている。それが動物であっても植物であっても僕にとっては一緒だ。
プリミティブな意味で個々の人間は命そのものをコンセプトとして生き、人間が環境に与える影響や環境が人間に与える価値、そういう様々なことを生きることそのもので表現しようとしているのだ。
レストランから料理の国籍がなくなり個人のアイデンティティから生まれるコンセプトをメッセージにして発信しようとする新しいカテゴリーが構築されつつある。
僕は今でもフランス産の食材、世界の素材を利用はしている。主に日本国内からのサプライが無いか少ない物が中心だ。例えばフォア・グラなんかがそうだ。しかし今後どんどん減ってゆくと思う。日本が置かれている地理的条件もあるとは思うが、長距離のフード・マイレージを使い大量のヴァーチャル・ウォーターを消費してテクニック先行型のガストロノミーを追及する方向に我々のコンセプトが向いていないからだ。
地産地消という概念はガストロノミーというよりはエコロジーに貢献しようとする考えで、地方の食を中心とした消費が美食や芸術を追及した結果の言葉ではない。
今、僕たちを生かしてくれている環境はとても小さな個々に何かを求め始めている。一人一人の向かう方向はまちまちだがいつか1つの場所に集約されるに違いない・・・。
東京にいた時はフランス料理を作ろうとしていた。店名もフランス語だった。
僕は料理の技術をフランスで学んで学習の参考にしたテキストはほとんどフランス語だったのでその技法の根底は今でもフランスにあると思っている。それに自分を育んでくれたフランス料理が好きで愛している。
レストランは何かのコンセプトを持っていて、そのコンセプトをメッセージにして伝える。そしてコミュニケーションの手段として料理やサービスがある。コンセプトはそのレストランで働く人々の思想や生き方といったものを反映したものでそれは環境や境遇、情報に誘発されたものだ。
そもそも料理とは生命の所作だ。他者の命を奪い自らの生命を存続させようとしている。それが動物であっても植物であっても僕にとっては一緒だ。
プリミティブな意味で個々の人間は命そのものをコンセプトとして生き、人間が環境に与える影響や環境が人間に与える価値、そういう様々なことを生きることそのもので表現しようとしているのだ。
レストランから料理の国籍がなくなり個人のアイデンティティから生まれるコンセプトをメッセージにして発信しようとする新しいカテゴリーが構築されつつある。
僕は今でもフランス産の食材、世界の素材を利用はしている。主に日本国内からのサプライが無いか少ない物が中心だ。例えばフォア・グラなんかがそうだ。しかし今後どんどん減ってゆくと思う。日本が置かれている地理的条件もあるとは思うが、長距離のフード・マイレージを使い大量のヴァーチャル・ウォーターを消費してテクニック先行型のガストロノミーを追及する方向に我々のコンセプトが向いていないからだ。
地産地消という概念はガストロノミーというよりはエコロジーに貢献しようとする考えで、地方の食を中心とした消費が美食や芸術を追及した結果の言葉ではない。
今、僕たちを生かしてくれている環境はとても小さな個々に何かを求め始めている。一人一人の向かう方向はまちまちだがいつか1つの場所に集約されるに違いない・・・。
2012年4月4日水曜日
Fading
庭の桜が順調に開花している。樹齢が60年近くある大きな桜だが樹勢がある。力強くびっしりと花をつける。木は山中の傾斜地にあるので一本一本開花するタイミングとスピードが違いその結果長く花が楽しめる。
日本人は桜に特別な思いがあるようだ。古来から桜とともに生きて来た。桜が咲き、そして散るまでのほんの数日のはかない時間にそれぞれの思いを込めている。桜が咲くと思いだすことがある、桜が咲くと思いだす人がいる。
桜の花を見ている時、決して赤く色づいた葉の紅葉を思いだすことはない。春は秋をもっとも連想させない季節なのだ。
人は今与えられている環境から、対極にある状況をなかなか想像できないものだ。しかし時は必ず移い、別のどこかへ進んでいるはずなのに・・・。
日本人は桜に特別な思いがあるようだ。古来から桜とともに生きて来た。桜が咲き、そして散るまでのほんの数日のはかない時間にそれぞれの思いを込めている。桜が咲くと思いだすことがある、桜が咲くと思いだす人がいる。
桜の花を見ている時、決して赤く色づいた葉の紅葉を思いだすことはない。春は秋をもっとも連想させない季節なのだ。
人は今与えられている環境から、対極にある状況をなかなか想像できないものだ。しかし時は必ず移い、別のどこかへ進んでいるはずなのに・・・。
ラベル:
jour
2012年4月3日火曜日
The wind is strong today
テラスの桜が開花し始めた。今日は大荒れの天候だ。風が吹き荒れ、豪雨が降ったかと思えば太陽が輝き・・・。
せっかくの桜のつぼみが心配だったのだがなんとか乗り切った。テラスのパラソルを全て解体し、テーブルを、椅子をと突風で飛ばされないようにととても大変な一日となった。
2012年4月9日(月)、10日(火)、11日(水)は「桜の会」を予定している。どなたでも参加していただけるイベントです。どうぞお問い合わせください。
せっかくの桜のつぼみが心配だったのだがなんとか乗り切った。テラスのパラソルを全て解体し、テーブルを、椅子をと突風で飛ばされないようにととても大変な一日となった。
2012年4月9日(月)、10日(火)、11日(水)は「桜の会」を予定している。どなたでも参加していただけるイベントです。どうぞお問い合わせください。
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2012年4月2日月曜日
Eau
僕が料理の仕事を始めたばかりの時、慣れない調理場で右も左も分からなかった時、「食べる」ということの意味が何であるかも知らなかった時。
副料理長の仕事ぶりを横から覗き見していた。「技術は盗め」の時代だ。ソースを作るプロセスでワインの瓶に入った何かを入れる。液体だ。色のついたワインのボトルだから中身がなんであるかは分からない。魚をポワレする、同じボトルからまた何かを少しだけ鍋に。こんな調子であるポイントでその秘密の液体を使うのだ。
そして仕事が一段落するとボトルの中身はシンクに流して綺麗に洗ってしまうのでその中身がなんであるかは分からないし、その時はまだ新米の僕がソースの作り方など質問できるような状況でも無かった。それに重要な仕事を任されている料理人は仕込みを始めると皆背中を向け、分量やプロセスを他人に見られないように隠しながら仕事をする。そんな時代だったのだ。
ある時、副料理長は何かの用事でストーブ前から離れた。ディナーの営業中なのでまたすぐに戻ってくるに違いない。僕はそのボトルを睨みつけた。魔法の液体が入ったあのボトルを。「今しかない」と、思い切って味見をしてやろうと思った。「秘密を盗み出すのだ」とそのボトルに手を伸ばした。いつ副料理長が戻るか分からないギリギリの選択だ。まるでアクション映画の1シーン見たいだ。自分の鼓動がBGMで全てスローモーションのよう。体が思った通りに動かない、速く、早く、ハ・ヤ・ク・・・。
ボトルから小さなバットに少しだけ液体を移し、何くわぬ顔で手元に置いた。誰も気がついていない。「しめしめ」。
僕はこうして調理場での修業を乗り越えて来たのだ。
魔法の液体をスプーンで味見すると・・・それはただの水だった。
副料理長の仕事ぶりを横から覗き見していた。「技術は盗め」の時代だ。ソースを作るプロセスでワインの瓶に入った何かを入れる。液体だ。色のついたワインのボトルだから中身がなんであるかは分からない。魚をポワレする、同じボトルからまた何かを少しだけ鍋に。こんな調子であるポイントでその秘密の液体を使うのだ。
そして仕事が一段落するとボトルの中身はシンクに流して綺麗に洗ってしまうのでその中身がなんであるかは分からないし、その時はまだ新米の僕がソースの作り方など質問できるような状況でも無かった。それに重要な仕事を任されている料理人は仕込みを始めると皆背中を向け、分量やプロセスを他人に見られないように隠しながら仕事をする。そんな時代だったのだ。
ある時、副料理長は何かの用事でストーブ前から離れた。ディナーの営業中なのでまたすぐに戻ってくるに違いない。僕はそのボトルを睨みつけた。魔法の液体が入ったあのボトルを。「今しかない」と、思い切って味見をしてやろうと思った。「秘密を盗み出すのだ」とそのボトルに手を伸ばした。いつ副料理長が戻るか分からないギリギリの選択だ。まるでアクション映画の1シーン見たいだ。自分の鼓動がBGMで全てスローモーションのよう。体が思った通りに動かない、速く、早く、ハ・ヤ・ク・・・。
ボトルから小さなバットに少しだけ液体を移し、何くわぬ顔で手元に置いた。誰も気がついていない。「しめしめ」。
僕はこうして調理場での修業を乗り越えて来たのだ。
魔法の液体をスプーンで味見すると・・・それはただの水だった。
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